心の距離を縮める敬語の”抜け”

言葉の壁が心の壁を作る・・・と言われますが、私の元上司は違いました。

英語があまり話せなかった元上司が海外出張へ行った時のこと。初めて会う現地オフィスのスタッフとの名刺交換の時に、名刺を持っていない事に気づいた彼。そこで自分の失礼をただ謝罪するだけではつまらない、と思った彼が機転を利かせて発したのが、

“Sorry, my cards are sold out.”
「すみません。私の名刺はただいま売り切れ中でして。」

というジョーク(?)でした。でもこの一言でぐっと場が和んだのは確か。シリアスな案件で現地オフィスを訪れたのですが、その後の会議や会食は和やかにスムーズに進んでいきました。

元々、彼の「ひょうきん英語」は社内でも有名で、「寝耳に水」を“Sleeping water in my ear”と言って周りを爆笑の渦に巻き込んでみたり。でも日本語でも英語でも、上司でも部下でも関係なく、相手との壁を取り払い、オープンなコミュニケーションを取る事を真っ先に考えて発言する彼には、誰もが親近感を覚えたものでした。

そんな彼のことを考えていた時にふと思ったのが日本語特有の敬語のこと。美しい日本語と正しい敬語というのは私たち日本人にとって永遠のテーマのように思いますが、敬語を使うことで心の壁や距離を作ってしまっているような気がします。敬語は私たち日本人が誇る文化と思う一方、もっとフランクに話せたら色々なことがスムーズに進むかもしれない、と思う事もしばしば。

そんな風に思ったのは、アメリカの大学を卒業後、現地で働いた時に上司と部下との関係に日本で見るような壁がないことを体感したからでした。簡易的な丁寧語のようなものはあっても、日本語のような敬語がない英語。だからこそ想いをダイレクトに伝えやすく、上司と部下と間の壁のないコミュニケーションはカルチャーショックではあったものの、心地よさを覚えました。

でも日本語と英語の違いは文化の違い。そんなことを大前提として理解しながら、私は普段、敬語には気を付けながらも、なるべく上司を愛称で呼ぶようにしています。例えば「山本部長」という上司がいたら、あえて「山さん」と呼んでみたり。それだけでも相手との間にある壁はぐっと低くなりますし、円滑なコミュニケーションのきっかけになってくれます。

こんなちょっとしたことでも結構勇気がいることですが、仕事でもプライベートでも、相手を尊敬する気持ちの中に、どこかでうまく”抜け”を作って、心の距離を縮めたいですね。

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